昭和51年1月30日 朝の御理解

第62節 昔から、人もよかれわれもよかれ、人よりわれがなおよかれというて          おるが、神信心もしても、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助          けてやれ。神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ。          にわかに先生にはなれぬぞ。


 先ずわが身におかげを受けて、後に人を助けてやれと。お道の信心をさせて頂いて、自分の助かり。金光様の信心のいわば有り難い事が分かるという事だと思うんです。本当に有り難い。その有り難いというおかげが分からせてもらうから、その有り難いおかげを、人にも頂いてもらいたいという願いから、人を助けるという働きになって来る訳です。ね、ですから、やはり金光様の信心の有り難いという事が分かるために、どうしてもやはり、教えを身につけて行かなければいけません。

 教えを身につけて行く事の楽しみが出けて参りませんと、年をとるほど、一年一年有り難うなると仰せられるその、一年一年有り難うならないです。ね、教えが身について参りますと、有り難うなって来る。一年一年有り難うなって来るから、この有り難いものを子供にも孫にも、いわゆる自分の周辺の人達にも伝えねばおかんという、止むに止まれん心が生まれて来るのです。

 昨日は敬親会でございましたが、敬親会の吉井の熊谷さんのお届けを聞かせて頂いた事を、まあ話した事でした。言うなら、東京にお孫さんがおられます。えー、大祓い信行がはじまってこの方、さっそく高校時代は、あの、こちらの吉井の方から行っておられましたから、ここに熱心に参って来ておりました。ですから、そのおばあちゃんが言う事が分かる訳です。

 それで、これは昨日、合楽では信行、大祓い信行があっておると。だから、貴方もあの、大祓いを十巻、アンタの一番都合の良い時間を知らせて、後はおばあちゃんがその時間におかげを頂くからという事であった。それが、今、朝早くからお勉強をしておられるそうですが、あの、ならおばあちゃん、私は5時から大祓いをあげるから、おばあちゃんも(   )あげて下さいというので、5時に大祓いを(二十巻?)。

 それから、妹さんが。熊谷さんの妹さんが、あん病院に入院しておられます。で、全然信心がないのですから、この頃から何回も行って、もう本当に溺れれる者はワラをも掴むと申しますか。もう、御主人も、もうサジを投げておられるから。もう、まあ言うならば、あの、お経なっとん上げろと言うて、お経の本を買うて来てやっちゃる。けども、何とはなしにお経ちゅうのは、心が寂しゅうなる訳ですよね。

 そこへ熊谷さんが、本当に金光教の信心はね、例えもう、もうその目の前に死が決まっておっても、もう心身生きておるという事が有り難いのだと。(精神一利?)が信心なりと言われるのだから。ね、今、こうして大祓い信行があっておるから、アンタもいっちょ、どうでんこうでん、大祓いは寝ながらでも出来るのだから、合楽行って、大祓い本を持って行ってやった。そしたら、大変読むけづかれて、喜ばれた。

 そして、んなら、ああ、姉さん、私は2時からが一番都合が良かけん、2時から大祓いを上げるから、言うなら、私なら2時からやっぱり大祓い十巻を上げようと、こう言う。ね。孫さんのために朝5時からの大祓い信行を十巻。妹さんのために昼、2時からの大祓い十巻。そすと、大阪におります御長男の嫁さん、恵美子さんと言いますが。恵美子さんは、私は十時からが、夜の十時からが一番都合が良かと言うて来た。そこでまた、夜の十時(間?頃?)から嫁と一緒に大祓いを十巻奏上させてもらいますが。

 もう、本当に日に例えば五十巻上げるとしても、こげな楽しい、有り難い事はないと言っておられます。私はあの、人が助ける事が有り難いと心得て信心せよという事は、そういう事だと思うですね。んー。昨日、やっぱり敬親会ですから、北野の中村さんが、もう今日はお参りせんつもりでしたばってんか、ほんに毎年(新年会?)があるけんでと思いよるところへ、光滝さんから電話が掛かって、タクシーを雇うて行くから、貴方も一緒に同乗しないかという電話が掛かって来たから、思い立って来ましたとこう。

 どういうもんか、その悔み性ですね、この人は。もう、熊谷さんにしても、中村さんにしても、もう八十から、もう八十に手が届く訳です。もう本当に、言うなら、もう隙間の風でも寒いと思う年で。また、本当に(元子?)ん中に寒いから寝とると言うても良いお年なんです。けども、やっぱり二人とも、それは信心がしっかり出けておりますから。

 それでもう、この頃はその、神経痛が痛んでたまらんちゅう。痛んでならんなち言うて。悔もうと思うちゃならんけれども、悔まにゃおられん訳です。まだ、30年も前の話。中村さんが、それはもう本当に珍しい信心をなさっておられました。もう、細々としたお商売をしておられたのだけども、まあ、どうしてこんな生き生きとした信心が出来るじゃろうかと思うくらいに、やはり熱心な信心をしておられましたが。

 ある、御祈願成就というですか、もう30年も前に、週に売上の中から500円ずつお供えをなさっておられました。30年前の500円ですからね。それが何年間続けられて、それが御祈念成就という時に、ちょうど毎月その時分、月参りをしておりましたから、もう親先生がお出でられる所なら、どこにでも絶対、もう行かにゃでけんと決めて、そういう信心が出けておりました。

 奥城で御祈念をさせて頂きよります時に、その中村さんの御祈念の成就の事を頂いてから、これから名前を喜久世と頂いた。感じで喜び久しい、(だいと世と?)頂かれた。だいたい、カタカナでキクヨと言うのが本当なんです。いわゆる喜び、一つのまあ神格でしょうね。そして、その御理解に、その、喜びを取ったら、後はくよくよになるという御理解じゃった。

 ね、喜久世の喜の字をとったら、くよくよになるでしょう。だから、もうアンタもこれを一つ、心情としてです、もう絶対どげな事のあったっちゃ、悔まんという生き方さえして行きゃ、おかげを頂かれるばいと。ほれは、もう本当に当時、素晴らしいやはりおかげを受けられました。ね。いわゆる、女手一つで細々とした、まあ下駄なんかの行書をなさっておられて、それから店を一軒、小さい家でも、あの持たれて。

 それから、家を買われて、屋敷を買われて。そして、念願の娘に養子を取って。それから、次の娘もまた、自分の理想通りと思われるような所にもろうて、嫁にやって。もう、本当にお神様のお部屋を一部屋と言うて、ちょうど椛目の奥の二階が出けた時でしたが、それと同じ恰好に、8畳でしょうか、の部屋を一部屋(ず?)建て増しをされて。それで、こう神様のお部屋として、というようにおかげを頂いて行かれた。ね。

 ところが、やはり神様が見通しという事は、あの、やはり神様が、お前はもう悔み性だから、悔やんじゃならんぞという事を、その時にお知らせ下さってあったけれども、さあ、悔まにゃおられんごたるところを通ると、やっぱりそこに、くよくよという事になって、昨日なんかもう、丸っきりアンタ本当くよくよさんになってしもうたのというごと、あの、悔まれる訳。それはそうでしょうね。

 もう、寝とっても、そばってん、神経痛っちゃ私は知らんけれども。あれは神経の病気じゃからね。中村さん、床の中でぬくぬくしとくけんで、あれは神経が痛うなるとじゃから、そげん時にいっちょ起き上がって。そして、ね、えー、手口を濯いで、お神様の前にそれこそ明々と(    )を一つも上げて。今、合楽ではこげな大祓い信行ちゅうのがありよるから。

 いっちょ、そういう、いわば痛い、痒いと思う時にゃ、もう床の中(       )、まあ順ない事だというような、その事を一つ立ちあがって。それは、もう八十にもなるアンタにそげん言うとも無理のごたるけれどもです。一つ、大祓い信行でも始めてんのち。(言うて?)、これはもう、必ずおかげ頂くよと。布団の中でぬくぬくとして、これは神経痛ばい、神経が痛んで来る。そういう時にゃ、もう神様が大祓い信行を求めてござる時と思うて、一つ大祓い信行を。

 したら、大変こう元気付いてから、ならどうでん、こうでんて先生、貴方言いなさる通り、じゃあ大祓い信行を始めましょうと言うて、昨日は言うておられましたがね。んー。結局、私は、まあ熊谷さんの信心と、中村さんの信心を対象する訳じゃないけれども。ね、お年は熊谷さんの方がいくつかお若いでしょうか。けれども、年を取って行くほどに有り難うなって行くと言うか。もう、熊谷さんの場合は人を、人が助かるという事だけに一生懸命です。

 ね、しかもその為なら、日に大祓い五十巻ぐらいは、(その?一つ?)楽しゅう出けるだろうと言うておられる。ね、教えが抜けて来ると、人間は誰しも、ね、信心を遠ざかると、どうしても、くよくよが出るのです。ね。悔んじゃならん、ね、腹を立てちゃならん、では続かんのです。ね、なぜ悔んだらいけないのか、なぜ腹を立てたらいけないのか。言うなら、腹を立てたり、悔んだりしたら馬鹿らしかという事が分かるほどしの信心。

 いや、悔まないという事が、腹を立てないという事が、このように有り難いんだという信心体験を身につけて行くならば、これはいくら年を取っても、なるほど一年一年有り難うなって行くような信心が出来ると思うです。ね。お道の信心を頂いて、お道の信心が有り難いと、(    )自分自身が頂かなければ人にも伝えられないです。為にはです、教えを本当に行じ抜かなければいけないです。一年一年有り難うなって行く事の為には、ただおかげを頂いて有り難いというのじゃなくて、根本的なおかげを、おかげと分からにゃいけんです。

 ね、例えば昨日の朝の御理解を頂きますと。78節でしたかね。神のおかげを知らぬから互い違いになって来る。神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き、信頼も出け、一年勝り、代勝りのおかげが受ける事が出けるという事がです。言うなら神のおかげを本当に知っていないのです。ただ、願うた事が成就したという程度のおかげじゃつまらんという事。ね。神の大恩を知ればと、話を聞けば誰でも分かるのだけれども。ね。それが、自分のものになるという事。

 私はね、あの、神のおかげを知らぬからという事は、お願いをして奇跡的なおかげを頂いて。店が繁昌したとか、家を一軒建てたとか、病気が治ったとかというようなおかげでは、私は、ね、神のおかげを知ればと。知らぬから互い違いになるというのは、もう一つ向こうのおかげです。ね。それこそ、神様のおかげを頂かなければ、日々が立ち行かんのだというおかげです。ね。立ち行ってる時には、もう自分の才覚で立ち行っておるような思い方の信心からはです。ね。それは、本当のおかげを知ったとは言えませんから、互い違いになって来るです。

 ね、そういう信心が分かる時にです。私はそういう信心が例えば有り難いと分かって来るところにです。ね、人にも話さなければおられない、人が助かる事の為の精進もまた、楽しゅうして応えんという事になって来るのです。ただ自分の周辺のというか、自分のただ願いが成就するという事だけがおかげに、まあ、誰でもそこに焦点を置いて一生懸命修行もするのですけれども、そこから信心が、私は進まなければいけないと思う。

 昨夜は御祈念がちょうど済みましてから、その若先生が誕生日だった。それで、えー、家族中の者、(さとえ?)修行生の方達も皆、それからお参りをし合わせておった若い青年の方達も、(  )からもう、共励殿でいっぱいで、まあ誕生をお祝いして、を、まあ、させて頂いた訳です。子供達が、えー、誕生のまあ、プレゼントにと言うて、まあ色々相談した、そして少しずつお金を出し合って。私はここの控えで使わせて頂いておるような。あれはこう、何ち言うですかね。こう(椅子があるでしょう?)。ね、なかなかエレガントなその、感じの椅子です。
 その椅子を買って、まあプレゼントに送ったのです。それを、床の間の正面において、そしてそれに毛皮をかけて。で、そこに、あの若先生に座ってもろうて、その、というような、まあ、ちょっとした演出をして、その、まっ、パーティーに入った訳でございます。私は、はあ、ほんに若先生が誕生という事で、いわゆる北京時代の、あの人が生まれた時の事を、まあ思わせて頂きました。えー、長女の豊美の時にも、難産でした。

 それから、若先生の時にも、もういよいよ難産でした。もう、以前はあの、長女は病院でしたけれども、勝彦は自宅でした。それで、(はさんばさん?)が、(いよいよち言って)、もう私の手じゃ負えんから、医者に電話を掛けて下さいと言うので、私が受話器を取った瞬間でした。その、生まれました。いわゆる、仮死状態で。もう本当にあの、私は、親の、親というものは、あの、本当にもう自分が死んで行く時でも子供の事だけは思い続けるもんだなと、あん時思ったんですけれども。

 もう、いよいよ自分で難しいと思ったから、あの、豊美をお願いしますという事が、まあ遺言でした。長女です。だから、いよいよ私は、ああ死ぬんだなと、自分でもそん時に思わせて頂いたんですけれども。もちろん神様にも、まあ、ほんなおかげ信心でありますけれども、一生懸命おすがりをさせて頂いて。けれども、本当に医者に電話、受話器を取った途端にですね、生まれましたと言うてから、その産婆の声。ですから、もちろん電話を掛けずに済ましたけれども、いわゆる仮死状態で生まれて参りました。

 だから、もう死んでおるもんだと、私、ちょっとこう、ボロ切れんごたっとに包んでから、ああ、(きりの?)部屋の隅の方にこうやって転がしちゃるけん、もうあいた、これは死んだばいなと思いよった。それから、(ひとせん)、その産婦の方の手当てをしてから、その、あの産婆さんがそれをあの、湯につけたり、お水につけたり、叩いたりしてから。したら、その、まあ、ギャーッと小さい声で泣き出しました。

 本当にない命を、まあ頂いておった時の事、そん時の事をありありと昨日はその、そういうその、パーティーにかかる前に思わせて頂きまして、もうあれから32年にもならせて頂くが。本当に神様がこうして、合楽の二代として、神様がお使い下さって、本当に有り難い事ではあると思いましたけれども。私は誕生祝いという事はですね、本当に誕生の来た度に、ね、親がもういよいよ死ぬる思い。決死の思いで、いわばそういう苦労をしながら産んでくれているんだという事を思わなければ、誕生日の値打ちはないと私は思いました。

 だから、本当に決死の思いで自分を産んでくれた日が、誕生日なんです。して見ると、私はこれは、もう本当にお母さん有り難うというのが、誕生の芯にならなきゃいけないなというような事を、夕べその事をしきりに思わせて頂いた。ね。後の7人、子供がおりますから。後の五人は、それこそ嘘のように隣知らずな安産のおかげを頂いた。愛子からこっちは、もうこちらへ帰りましてからでしたから、信心内容も大変、変わっておりましたし。ね。

 本当に隣知らずな安産なおかげを頂きましたけれども、長女長男の時は、そのように、それこそ遺言をせにゃならんほどに、きついお産でした。して見ると、その事を思い、その事を聞いたらです。はあ、本当に三十何年前の今日はお母さんが僕のために遺言までして、(  )決死の覚悟で産み落してくれたんだ。そして、実際は私はもう仮死状態で出て来ておって、神様のおかげなればこそ、今日の自分があるんだという事を、分からなければいられない。

 そのお礼を神様に私申させておりましたら、頂く事が。あの、糊バケですね。障子貼る時に使う糊バケの、あの、木のところだけを頂いた。金光様の御信心はね、あの、思うとりますとか、そういう気でおりますというだけではおかげにならんです。どんなに尊い、素晴らしい事を思うておっても、思うとるだけではおかげにならんです。ね。ね、例えば本当に親に孝行しなきゃならんとか。ね。本当に親は自分の命の恩人だとか。ね、まあ、色々言うたり、思うたりしとるだけではいかんて。

 ね、僕のために親は決死の思いで自分を産み落してくれたんだと。ね。しかも、もう自分はもう難しかろうごたるから、遺言までせにゃならんほどの、きつい、苦しい中に自分がこの世に出て来ておるという事を、誕生度にだけでも思うてです。いよいよ、ね、親孝行の思いというか、親に(   )親に喜んでもらうと言うか。その心を持っておるだけではなくて、それを形に現して行かなければ、私はそれに対する報恩の生き方という事にはならないと思うです。ね。

 例えば障子があります、紙があります。ね、糊があります。けれどもね、いわゆるその、気がかりではいけない。それに、やはり、はけが。ね、いわゆるあの、先の毛がついとらなければ、ね。私は、言うなら障子を張り上げる事は出けない。障子を、まあ、人間氏子と致しましょうか。紙を神様の神と頂きしましょうか。糊を徳と申しますから、お徳があると致しましょうか。ね。で、それが三台一つになってです。それを実行に移した時にです、それこそ隙間の風も入らんような障子が貼りあがる事、貼り上げる事が出けるのです。

 金光様の御信心は、もうだから、絶対の言うならば、どんなに良い心の人でも、それを実行の上に現す。教えをどんなに有り難いと頂いても、頂いただけでは、それは気だけ、心だけであります。ああ、なるほどと思うただけではいけません。やはり、それを実行して、初めて塗るだけの用をたす事が出来るのです。そういう意味で、今日私は、人を助けてやれとこう。私はこの62節は、まあ、後先のところを読ませて頂きますとですね。

 えー、信心も一段一段とこう、言われる。えー、昔から人もよけれ、我もよけれ、人より我はなおよけれという事は、どういう事かと言うと、教えによって自分が助かるという事。ね。その、助かった自分の心の状態がです。ね。助けずにはおけんという働きになって来るという信心が、一段一段、私は本当なものになって行くという事が、いわば年を取るにしたがって、ね、いよいよ、ね、熊谷さんじゃないですけれども、大祓い、それこそ五十巻を人が助かる事のために上げても、苦にはならんだろう。

 現在、そうして、孫やら嫁やら。または妹さんのために大祓い信行をなさっておられる。しかも時間を切って、まあ、十巻ずつ。昨日の大祓い、えー、敬親会の中でも、なかなか、このもう、私は必ず会合の度にその事を申しますが。ね。一巻の大祓いすら、なかなか続かんというお婆さんが(多いです?)。それを聞かせてもろうてから思いましたこと、また言いました事でしたけれど。もう、確かに若い時から信心だけはしとかにゃいけんなという事です。

 しかも、一段一段有り難うなって行くような信心をしとかなければ、もう70にも80にもなってから、さあ、途端に有り難くなれと言ったって駄目だという事です。本当に若い時に、せっかく御神縁を頂いて信心をさせて頂くならです。その一段一段、もう有り難うなって行く事の間違いのない。それこそ、昨日の御理解じゃないけれども、信心はベターで行かなければいけないという事。より有り難い、ね、より尊い信心に進んで行く基本、基礎が出けておるかという事であります。

 ただ、おかげに圧し掛かった、ただおかげを受けるからという信心であっては、これは、なら一生掛かっても、年を取るにしたがって寂しゅうなり、年を取るにしたがってです、不平不足が出て来るようになります。ね。私は本当に、教えを頂いて、教えを元にした生き方からです。ね。いよいよ、自分の心身ともの助かりというものを感じさせて頂いて。その助かりがです、人に伝えておかなければおけない。

 その為に、ね、大祓い五十巻の信行をさせて頂くでも、私は楽しいというような風にです。信心が、ね、人より我はなおよけれという事は、ね、いよいよ自分が、より助かって行くという事。その助かりの言うならば余波と言うか。ね。そういう、が人を助けずにはおかれん。これも、熊谷さんの昨日の朝のお届けにあっとりましたが。ちょうど、(よみつ?)の共励会に出掛けようとしておるところに、ある人が尋ねて来た。

 しかも熱心に、それはキリスト教の御信者で、本を売りに見えた。まあ、聞くしこ聞いてから、金光様の話ばして。一時はえらあい腹かきなさった。貴方もどうでも一偏合楽に参らさらんですかち言ったら腹かかっしゃった。けれども、また色々話させて頂きよったら、そんなら一偏、貴方の話をゆっくりまた聞きに来ても良いですかと言うて、帰られたという事です。そのお話を聞いておってから、本当に日頃信心のけいこをしとかなきゃ、そげな事は、言葉になって出て来ないというような素晴らしいお話をしておられます。ね。

 ですから、本当にね、信心がやはり身について行くという事です。ね、そういう誰ん、今、昨日はもう、宮崎から手紙が二通来ております。それに、えー、おかげの泉勉強会と言っておられます。ね。で、もう本当に皆、14~15人の人が集まって、共励をやってる。これが本当の、いよいよ、おかげを頂きますようにという事でございました。この月末には、自動車二台、12人の、でお参りをさせて頂きたいからというお届けがあっておりますがね。

 とにかく、あの、勉強会。おかげの泉勉強会。ね。あの、勉強しようという意欲のあるなしでです。もう、おかげを頂き、いや御理解を頂き終わった後に残るものでも、大変な違いになって来るです。28日の、あの竹葉会にもう、時間がちょうど、修行生の方が研修すると同じ時間になりますから。あの、皆さんに全部、若い方達ばかりですかね。若い嫁さん達ばかりですから。

 その、朝の御理解を頂いてもろうて、それを(      )どういう風に頂いたかという事を一人ひとり発表してもらいましたが。もう全部、その肝心のところを頂き止めておるという人は何人かしかおられませんでした。いわゆるその、勉強しようと思うて聞いとらんからですよ。それで、その後に........(B面へ).........

 発表しましたが、もう、本当にあの、まあ、玄人を目指すというかね。いわゆる、アマとプロの違いを、もうこげんハッキリ感じる事はないですねと言うて、私は後で話した事でしたけれども。勉強するという意欲がないからです。ね、だから、これからどうでも、一つ月に一回しか(   )のだから、どうでも一つ、ね、本当に勉強するという事は、隅から隅まで御理解が分かるという事だから、その御理解を、なら一月の生活の元にして行くような生き方をすりゃあ、また素晴らしい体験も生まれる事であろう。

 ね、そして今日はこういう勉強をして来たと言うて、帰って主人に、家族の 者に話したら、それこそ、あの。けれども、今のような事では、帰ってから、今日はどげな話があったかっち言うたっちゃ、話も出けんような感じじゃないですかと言うて、話した事でしたけどね。やはりはその、意欲をしなきゃ駄目です。
 ね、やはりおかげの泉勉強会じゃないけれども、日々こうやって朝の御理解を頂いて下さって、その御理解の本当の肝心要の頂きどころ、また、先生がああいう事をああいう風に表現した、ああいう風に話されたという事をです、やはりノートしておくというぐらいなおかげを頂いて。また帰って、それを、なら家族で研修し合う、勉強し合うといったようなね、それが、私はお道の信心だと思うです。

 そういう生き方を身につけて行くならです。私は必ず、一年一年有り難うなって行く事は間違いないと思うです。ただ、有り難かったというのが頂いて、ただおかげを頂いて来たというだけの信心では、ね、これはもう、当然私は、やはり、ね、言うならば人に語るという事を致しませんとね、自分の身につかんです。うん。先日、お道の新聞に、お道の信心は語りの宗教だといったような言葉で表現しておられる先生がおられましたが。確かに、お道の信心は語りの宗教です。ね。浪花節を語るとか。ね。(??数分の間、まったく聞こえない????)

 神のおかげを知らぬから互い違いになる。神の大恩を知れば、一年勝り、代勝りにおかげが受けられると仰るのですから。その、神のおかげを分かる為にも、神の大恩をいよいよ聞いて理屈で分かるのじゃなくて、自分の体で、本当に神の大恩が感じられるおかげを頂く為には、やはりそういうところに焦点を。今日申しましたようなところに焦点を置いて、けいこしなければ。ね、神の大恩も分かっただけ。いわゆる、神のおかげも、ただ手前のところのおかげだけを有り難がっておるというおかげではいけんです。

 根本的な、言うならおかげをおかげと分からせてもらうところから、互い違いのないおかげも。また、年勝り、代勝りのおかげも頂かれるのですから、どうでも一つ、手習いと思うて勉強しなければいけないという事でございます。どうぞ。


                  末永信太郎 ( 9月4日 )